「娘の初めての海外体験」(2006.8.17号)

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  ■ 日程表
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8月5日(土) 7:10 福岡発   8:55 成田着
       10:30 成田発  15:55 チューリッヒ着
       16:39 チューリッヒ発 17:58 ベルン着  
          (ベルン泊)
   
8月6日(日) 9:06 ベルン発  10:42 ブリーク着
       11:05 ブリーク発 12:24 ツェルマット着 
          (ツェルマット泊)

8月7日(月) 移動なし  
          (ツェルマット泊)

8月8日(火) 9:48 ツェルマット発 11:30 ブリーク着
       12:52 ブリーク発 15:20 バーゼル着
       18:10 バーゼル発 19:00 チューリッヒ着
       20:44 チューリッヒ発  
          (夜行列車 車中泊)

8月9日(水) 8:34 ハンブルク着  ハンドルフへ移動 
          (ハンドルフ友人宅)
  
8月10日(木) 移動なし  
          (ハンドルフ友人宅)

8月11日(金) 11:00頃 ハンドルフからブクステフーデへ移動
          (ブクステフーデ友人宅)
  
8月12日(土) 10:00頃 ブクステフーデからハンブルクへ移動
        14:24 ハンブルク発 18:24 フランクフルト着
        21:05 フランクフルト発  
          (機中泊)
 
8月13日(日) 15:20 成田着
        19:50 成田発   21:45 福岡着
     

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  ■ 娘の様子
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8月5日(土)
    
早起きの苦手な娘ですが、5:30に起こすと、すぐに起床。
1週間前までは
「おじいちゃまとおばあちゃまが行かないなら、私も行かない」
などと言っていたのに、行きたくない気配は全く見られない。
福岡空港でも、見送りの祖父母に元気よく「行ってきま〜す!」

成田空港で軽く朝食後、主人と搭乗口で合流し、なが〜いフライト。
約12時間のフライトでは JALだったが、スイス人の客室乗務員の
方が乗務。
娘は英語を使わねばならないと思ったのか、
「Orange juice, please. でいいんだよね?」
と私に確かめつつ、英語で飲み物を希望。
   
3列続きの席に娘が横になって寝ると、私たち両親は両脇で、
斜めに座るのがやっと。
ぐっすり眠る娘と好対照に、眠れない両親。(これは計算外)
  
7-8年前から(?)エコノミークラスの座席にもパーソナル
テレビが付き、起きている間はディズニーチャンネルや
ゲームを楽しみ、娘は思ったほど退屈していない様子。

ようやく小雨で気温15度くらいのチューリッヒ空港に着き、
祖父母に電話。
涙声になるかな? と思っていたのに、とても楽しんでいる様子。

出発前に「日本と違うところを探してみようね!」と言ってたので、
早速、
「トイレ(の便座)が高くて、自分で座れないところが違うね」
とか、
「夏なのに涼しいね〜」
など、違うこと探しを楽しむ。

スイスパスを使い、鉄道でスイスの首都ベルンへ。
ベルンは美しい街で、駅から徒歩5-10分内にリーズナブルな
ホテルがたくさんあるので、到着日だが、チューリッヒには
泊まらずベルンまで足を伸ばす。

ホテルにチェックイン後、近くのレストランで夕食。
出発前、相当な睡眠不足の日々が続いた私は、気分不良で
何も食べられず。
体調を崩した母を気遣う、余裕の娘。

娘はヨーロッパで一般的な炭酸入りの水は嫌いらしく、
水道水を好んで飲む。
以後、旅行中、もってきた水筒に水道水を入れて行くことに。

8月6日(日)

ホテルでの朝食では「チーズがおいしい!」と本場のスイスチーズ
をたくさん食べる娘。
パンは外の硬い部分は食べず、中だけ食べるが、「おいしい」と言う。

小雨の中、鉄道でブリーク経由でツェルマットへ。
途中、列車の窓から渓谷を見て、川の水が白いのに驚く。

ツェルマットに到着。12-3度だろうか、ひんやりしている。
ここも小雨で、私の大好きなマッターホルンの姿はお預け。
 
祖父母に電話し、小雨でマッターホルンが見えないことや、
とても涼しいことを報告。

ホテルにチェックイン後、メインストリートからちょっと入った
レストランで食事。
スープやソーセージ、レシティというカリカリに焼いた
ジャガイモ料理を喜んで食べる。

このレストランの奥さん、お客さんに合わせて、ドイツ語・
フランス語・イタリア語・英語を自由に操る。
「いったい何語が母国語なんですか?」
と尋ねると、
「イタリア語が母国語で、あとは少しだけ」
と謙遜した答。
でも、少しなんてもんではなかった。
娘に「すごいよね〜」と言うと、娘も「すごいね〜」と
感心している様子。
   
日曜なので日本人経営のお土産屋さんしか開いておらず、
そこでアニメ「アルプスの少女ハイジ」のシール+塗り絵の本を
買って喜ぶ。
 * アニメ「アルプスの少女ハイジ」はドイツやイタリアでは
  吹き替えでテレビ放送され、現地の子ども達にはかなりの
  人気です。

雨宿りにカフェに入り、相席になったチューリッヒから来た
老夫人二人とお話。
会話はドイツ語なので娘はあまりわからないが、「かわいい」と
好意的に思われているのがわかるのか、まんざらでもない様子。
別れ際には「アゥf ヴィダージーン」と、教えていたドイツ語で
さようならを言う。

日曜日なので、4時から7時までしか開かないスーパーで買い物
をする。
野菜や果物を自分で計って値札シールを貼るのを、おもしろがって
いる様子。

あまりにも違うところが多いからか順応したからか、
「〜が違うね」は、この日以来、娘の口からはほとんど聞かれない。

いったんホテルへ戻ると早速、ハイジの本のシールを貼ったり、
迷路をしたりして遊ぶ。

ツェルマットに来たら必ず行く、フォンデュのおいしいレストラン
に7時頃入るが、娘はほとんど何も食べずに眠ってしまい、
翌朝 5:30くらいまで寝る。

夜は寒いが、ホテルの部屋には暖房が入っていて快適。
洗濯物もすぐ乾いて便利。
ここの水道水は炭酸なしのミネラルウオーターより甘くておいしい。

8月7日(月)

朝6時頃から快晴になり、ホテルの部屋からもマッターホルンが
きれいに見える。
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       (ホテルの部屋のベランダにて)

朝食後、ゴルナーグラート行きの登山電車に乗り、高度 3135mの
展望台へ。
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       (登山電車乗り場近くからのマッターホルン)

以前に両親を連れて行った時は5月だったので、まだ雪が積もって
見えなかったが、今回は展望台からいろいろな氷河が鮮明に見える。
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       (ゴルナーグラードでの氷河の風景)

娘の関心は雄大なマッターホルンよりも、壮大な氷河よりも、
そこにいる写真撮影用のセントバーナード犬。
「ヨーゼフがいた!」と大喜び。
日本人観光客のリクエストが多いのか、撮影スタッフにも
日本人女性がいて、娘は「ヨーゼフ」にのせてもらって、ご満悦。
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       (『ヨーゼフ』との写真)

多分ここは0度近い気温。
暖かい飲み物を買って展望テラスで飲み始めたが、娘が
「頭が痛い、ホテルに帰る」
と言い出す。 高山病のようだ。

もう少しゆっくりしたかったが、また登山電車でツェルマットへ。
ツェルマットに戻ると、もう大丈夫になり、昨日と違って
太陽で輝く町を歩く。
メインストリートに建ち並ぶホテルの窓には、あちらにも
こちらにも花が飾られ、とても美しい。
「きれいね〜」と娘。

娘は「ヨーゼフ」に似たセントバーナード犬のぬいぐるみを
探し始める。
月曜なので、どのお店も開いているが、驚くほどどこの店でも
「日本語でお買い物ができます」「日本人スタッフがいます」
の表示。
以前からもその傾向があったが、現在では、お土産屋さんは
もちろん、入国審査の係員までもがサービスのつもりか
「コンニチハ」と日本語で言う。
娘はそんな風に日本語で話しかけられても、別に驚かない。
子どもにとっては自然に聞こえるのか?

駅前から福岡の祖父母と、埼玉の父方の祖母に電話し、
天気がよくてマッターホルンがきれいに見えること、
ヨーゼフと写真を撮ったことなどを喜んで報告。
福岡は連日35度近い暑さと聞き、
「こっちは涼しくて汗もかかないよ!」。
そう言えば、ひどく汗かきの娘が、まだ一度も汗をかいていない。

中華料理のレストランでの昼食の後は、娘の高山病が心配で、
予定していた他の展望スポット行きをやめる。
ホテルの部屋から真正面に見えるマッターホルンを見ながら、
ゆっくりする。
幼稚園の先生や福岡の祖父母、埼玉の父方の祖母に日本語で
絵葉書を書く。
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       (ホテルの部屋からのマッターホルン)

夕食前に散歩に出て、昨日カフェでお話しした上品な老婦人に
偶然再会する。
多分80才近いであろうその御婦人は、1時間ほど見晴らしのよい
高いところを散歩してホテルに戻るところだと言う。

こちらの教会に初めて入ってみる。
娘の幼稚園(カトリック)のと違い、大きく、少し驚いた様子。
教会の裏の墓地にはマッターホルン登山で亡くなった方々の
お墓があり、墓石にある名前や出身地、年齢などを読んでやる。
中には若くして亡くなった方もあり、娘は少し考え込んでいる様子。
   
ホテルのレストランに名物料理があるとのことで、夜はホテルで
食事。
その名物料理とは、とても変わった形式の焼き肉。
娘はあまり食べなかったが、喜んで肉を焼いていた。
      
天の川まで見えるスイスやドイツの星空を見せたかったが、
観光地ツェルマットは夜もかなり明るく、残念ながら大きな
星しか見えなかった。

8月8日(火)

この日も快晴。朝からマッターホルンを眺めて朝食。

ホテルをチェックアウトし、駅で氷河急行に乗り、ブリークへ。
氷河急行は予約料がいるのを知らず、列車の中で追加料金を
取られる。
車両が見晴らしのよいガラス張りのパノラマ型になっているが、
日差しが暑い。
ブリーク〜ツェルマットだけなら、行きに乗ったローカル線でも
十分。

この日は夜のハンブルク行き夜行に乗るまで、特に何も予定を
しておらず、ブリークで昼食を取り、最初、夜行に乗るはずだった
バーゼルに向かう。

バーゼルにはお勧めの美術館があるのだが、娘はまだ関心を
示しそうにない。
結局、バーゼルではカフェに入り、スイスのチョコを食べ、
駅前の公園で遊んだだけ。
 
ここで夜10時まで待つのは・・・と考え直し、乗るはずの
夜行列車がチューリッヒから 20:44に出るのを確かめ、
チューリッヒへ向かう。

チューリッヒの駅構内のレストランで食事をし、夜行列車に乗る。
寝台車は、娘の大好きな英語ビデオ「カユウ」(いつか詳しく
ご紹介しますね)でカユウが両親と旅行に行く時に使ったのを
見ていたので、実際に乗せてあげたい と今回の旅行のメインの
一つにしていた。
が、結構高くつき、次回からははずそうと思う。

娘自身は寝台車をとても喜んだ。
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       (寝台車にて)

もちろん、2段ベッドの下に寝かせたが、枠のないベッドから
落ちるのでは と周りを荷物で固めても、上に寝ている私は、
あまり良く眠れなかった。

8月9日(水)

朝 7:30に娘を起こす。
ハンブルクに近くなると、秋の気配の北ドイツの空。
スイスやドイツの旅行は7月上旬を中心に6月下旬〜7月下旬
くらいまでが最高にいいのは知っているのだけれど、
仕事の都合上、やむを得ない。

車掌さんから飲み物のサービスがある。
娘は子供用のパック入りのココアをいただいたが、330mlは
多すぎて、全部は飲めない。
ツェルマットのスーパーで買った、娘のお気に入りとなった
ビスケットを一緒に食す。

ハンブルク中央駅のホームには懐かしいユルゲンとギゼラの顔。

私が学生時代に初めて参加したドイツ研修旅行の初日に、
ハンブルクからリューネブルクという街へ行く途中の電車の中で、
少しお話をしたギゼラ。
「3日間もリューネブルクに滞在するのなら、お茶でも飲みに
いらっしゃい」と誘ってくれたその言葉に甘えて同級生と2人で
おじゃまして以来、20数年のお付き合い。
私のハンブルク留学中は、月に一度は週末に泊まりに行き、
一緒にお料理したり、ケーキを焼いたり・・・ほとんど親戚の子
のように扱ってくれた。

前回2人を訪ねたのは、丁度5年前の夏、スコットランドの
グラスゴーで国際学会があった帰りに両親と一緒にハンブルクに
寄った時で、そのとき娘は私のおなかの中だった。

今回は初めて娘を同行するので、二人ともまるで孫が来るか
のように大喜び。
   
早くから手配してくれたチャイルドシートには、かわいいクマの
ぬいぐるみが娘を迎えてくれ、娘の緊張がほぐれる。

ハンブルクから車で約1時間のハンドルフという小さな村に
ある彼らの家には、娘へのお土産を兼ねたお絵かき用のマジック
ボードや色鉛筆が用意され、娘は到着早速お絵かき。
   
レゴブロックやミニカーは彼らの一人息子トーステンが
小さい頃のおもちゃ。
テディベアも「トーステンと同じ年だから、39才よ!」。
娘の使い終わったおもちゃや本など、片っ端から人にあげたり、
オークションで売ったりしている私は、少し反省する。

ハムやチーズ、手作りの数種のジャム、に近くのパン屋さんで
買ってきたばかりの芳ばしい香りのパンで、リッチな朝食。
テーブルにはキャンドル。
この風景については以前から娘によく話をしていたからか、
娘は何も言わなかったが、どう思ったのだろうか。

たくさん食べて、席を立ちたい時、娘は
" May I be excused?"
と教えていた英語を使ったが英語のネイティブでない彼らには
通じなかったので、
" Can I stand up now?"
と言い換えさせた。
" Of course, yes!"
と言われ、嬉しそうに、またおもちゃで遊ぶ娘。

お昼からは近くの町で催されているガーデンショーへ。
日本庭園を模したものなど、いろいろなお庭があって
とてもおもしろかったが、娘の関心は広場の大きな恐竜型の
風船に乗ることや、滑り台、ブランコなど。  
ギゼラやユルゲンは、娘の気の向くまま遊ばせてくれ、
娘はかなり満足。
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       (ギゼラとブランコ)

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       (ユルゲンとパワーシャベル遊び)

4時頃帰宅し、ギゼラの焼いた2種類のケーキでお茶。
日頃から娘には、ドイツのケーキが大きいこと(日本は18cm、
ドイツは28cmのケーキ型が標準)や、ギゼラのお料理・ケーキが
おいしいことを話していたので、娘は大喜び。

2種類のうち、夏の終わりのプラムのケーキは娘には少し
酸っぱいので食べなかったが、もう一つのチーズケーキは、
私以上によく食べた。

夜7時頃、息子のトーステン夫妻(子どもはまだいない)が来て、
テラスで一緒にバーベキュー。
だんだん日が短くなっている時期とはいえ、まだまだ夜10時近く
まで明るいので、テラスでの夕食は一般的。

娘はみんなに
" This is for you!"
と言って、日本からのお土産を配ってまわった。
" Thank you!"
とみんなに喜ばれ、嬉しそうな娘。
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       (テラスでのバーベキュー)

それからまた、ひとしきり折り紙やお絵かきをして寝る。

8月10日(木)

ハンドルフのギゼラとユルゲンの家での2日目。
夜行列車の日と昨日とお風呂に入れなかったので、
朝からお風呂に入れてもらう。
普段、彼らはシャワーしか使わないのだが、娘のために
お風呂場に暖房を入れ、用意してくれた。

さっぱりして、またリッチな朝食。

今日は近くの自然動物園へ。
お天気はいいが、気温は 20度ほど。
途中で、中に入ることができる風車に立ち寄ってくれたのだが、
娘は眠っており、そのまま通り過ぎることに。

自然動物園では山羊や鹿にエサをあげたり、アスレチックの
ような遊具で思い切り遊んで、娘は大満足。
子どもは日本にいようが、外国にいようが、喜ぶものは同じみたい。
景色や美術館を楽しむのは、まだまだ先のよう。
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       (鷹のショーを見学)

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       (ヤギにエサをあげる娘)

「今日もおうちに帰ってギゼラのケーキがあるんでしょ?」
と聞く娘。
「今日はギゼラのケーキはないんじゃない? 焼いてる時間が
 なかったでしょう。」
と言うと、ちょっとガッカリした様子。
その代わり、自然動物園の中のカフェで大きなケーキ。
(私はヨーロッパに行くと、必ず2kgほど太って帰ってきます)
気を取り直した様子の娘。

帰宅後は広いお庭の真ん中に置いてくれたトランポリンで、
楽しそうに飛び跳ねる。
どうしてこんなに子どもが喜ぶものが揃えてあるのだろう?

夕食の準備の時、「お手伝いしたらギゼラ喜ぶよ。」と言うと、
早速台所に行き
" Can I help you?" 
お皿を運んでテーブルに並べたり、デザートのチョコレート・
プディング用のソースを混ぜたりと大ハッスル。

この日は室内で、キャンドルをつけての夕食。
娘はギゼラが作ってくれた、あまり酸っぱくなく、とても
おいしいトマトスープをおかわりして食べる。
その後のユルゲンが焼いてくれたソーセージもそこそこ食べ、
デザートの大きなチョコレート・プディングにも自分でまぜた
バニラソースをたっぷりかけて食べる。

夜、娘は折り紙でなんとか鶴を折ろうと必死。
なかなか一人では折れるようにならず、最後は紙飛行機に。
ユルゲンの作った紙飛行機と飛ばし合いをして楽しむ。

8月11日(金)

またまたリッチな朝食。

10:30にアンドレアスが迎えに来るまで、私は荷物の整理。

その間に娘は、
" Can you show me the Keller?"
と言い、ユルゲンに地下室を見せてもらう。
  * 英語では cellar ですが、ユルゲンにもわかりやすい
   ようにドイツ語で Keller(ケラー)と言うように教えました。

地下室にはユルゲンの趣味の木工細工用の機械がたくさんある他、
全館暖房用の大きな石油タンク、洗濯室、たくさんの貯蔵食料品が
あって、初めて見る人にはおもしろい。

10:30頃、アンドレアスが迎えに来る。

アンドレアスはハンブルク大学の医用工学教室に勤めるエンジニア
で、私がハンブルク大学に留学中、ひょんなことから知り合い、
週に1度、日本語とドイツ語の交換授業をしていた。
   
私の前回のハンブルク滞在時には一人娘のニーナが、ちょうど
今の私の娘と同じ4才半だった。

アンドレアスは、私の娘が約10ヶ月の時、日本であった学会に
参加したついでに、奥さんのテアと我が家を訪れたことがあり、
娘とは再会となる。
      
玄関先で、娘に「ハジメマシテ」と日本語で挨拶。
娘はちょっとびっくり。
ギゼラやユルゲンからは、彼は日本語ができる! と驚かれるが、
「初めてじゃないから、ちょっと違うよ」と私から言われて、
「でも赤ちゃんの時会ったきりだから、初めてのようなもんさ」
と笑う。

チャイルドシートの取り付けがなかなかうまくいかない。
私達家族3人と自分達家族3人が乗れるように、大きな車を借りたので、
勝手がわからない とのこと。
わざわざ車やチャイルドシートを借りてくれたことに恐縮。

ギゼラとユルゲンに別れを告げ、車で約1時間、アンドレアス一家の
住むブクステフーデへ。
ドイツのアウトバーンは無料で(最近トラックは有料になったらしい)、
時速制限もなく、平均時速 130-140kmで飛ばしていくので、
結構距離があっても問題にならない。

この日は曇り時々小雨の、典型的な北ドイツの天気。気温は 15度。

家に着いて、テアとニーナとに迎えられる。
ニーナは背が高くなり、かわいかった少女の面影は消え、少し
おすましのお姉さんに。
乗馬を楽しんでいるという。
5年後は娘もこんなふうになるのかな?

午後からは、車でまた約1時間のブレーメンへ。 
市庁舎脇にある、有名な「ブレーメンの音楽隊」の像を見て喜ぶ娘。

近くの教会に入り、壁にかかっている聖書にちなんだ絵やステンド
グラスを見る。
絵の説明をすると、「磔」のことや「復活」のことに興味を持った様子。
カトリック幼稚園なのに、幼稚園では教えないのかな?

アンドレアスが教会の塔に登れることを話すと、即座に
「登りたい!」と娘。
265段の螺旋階段をみんなで登ることに。
塔の上には大きな鳥かごのようなものがあって、みんなで
「何だろう?」
テアが、
「悪いことをした子どもが閉じこめられる って言うと
 教育的効果がありそうね」
と言ったのを、ちょっと変えて、
「悪いことをした子どもが閉じこめられるんだって」
と娘に伝える。
しばらくは効き目がありそう。
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       (教会の塔の上で)

教会の近くのカフェで大きなケーキ。
とってもおいしく、娘もよく食べる。

雨が降り始め、少し寒いが、小さなお店が並ぶシュヌーアと
いう有名な通りを歩き、娘は気に入った絵はがきなどを
自分で買う。
「何て言えばいいの?」
「"ビッテ"(英語の please )って言って、渡せばいいんだよ」

夕方家に戻り、少しニーナのおもちゃで一緒に遊んだあと、
近くのレストランで食事。
ニーナのお土産には折り紙の本を持っていったので、二人とも
お料理が来るまで折り紙をして遊ぶ。

食事からの帰り、車の中で、ニーナが「春が来た」をなぜか
日本語で歌う。
娘はドイツ語の歌は歌えないが、メロディーが同じ
「ちょうちょう」や「ぶんぶんぶん」を日本語で歌う。
最後は二人が英語で「きらきら星」を上手に合唱。
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       (ニーナと遊ぶ)

帰宅後もみんなでしばらく団欒し、その後、お風呂を使わせて
いただいて寝る。

8月12日(土)

いよいよ最後の日。晴れだが気温は 20度ほど。

またまたリッチな朝食の後、お庭にあるブランコでしばらく遊ぶ。
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       (庭のブランコ)

テアとニーナに別れを告げ、アンドレアスにハンブルクまで
送ってもらう。

11時過ぎにハンブルク空港に近いところに住む、アレクサンダーと
アネッテの家に着く。
ここでアンドレアスと別れる。
 
アレクサンダーは私がハンブルク大学の病理学教室に留学中、
検査技師見習いで入ってきたが、そこの教授に気に入られず、
試用期間のみで追い出された。
とてもおもしろい人で、病理標本を作る検査技師にはもったいない
と思っていたが、現在、彼は航空機会社のエアバスに勤めていて、
かなり高給をもらっている。
人生は何が幸いかわからない。

このアレクサンダーとその彼女アネッテのところには、大学の帰りに
時々寄り道して、一緒に食事をしたりしていた。

二人は娘が生まれるのに合わせて日本にやってきて、娘の誕生を
見て帰った。  
今度はそのアネッテがこの10月に男の子を出産する。

アネッテに会うなり、大きくなったおなかを触って、その直後に、
アレクサンダーの5年前より大きくなったおなかを触って、
「ここにも赤ちゃんがいる!」と私。
「みんながみんな、そう言うんだよ!」とむくれるアレクサンダー
にみんな大笑い。
娘にも「ほら、触ってごらん!」
娘はほとんど緊張なしに、その後もアレクサンダーから
くすぐられたり、逆に大きな彼の鼻をつまんだり、手や足の
大きさを比べたりして遊んだ。

娘が小鼻をピクピク動かしてみせると、アレクサンダーは
「僕にはそれはできないけど、耳は動かせるよ!」
と耳を動かして見せる。
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       (アレクサンダーと)

近くのカフェでお茶を飲んだ時も、アレクサンダーは早口の
ドイツ語でまくしたてるので、娘とは直接話はしていないものの、
娘はすっかり打ち解けている様子。
「アレクサンダー、言ってたとおり、おもしろいでしょ」
と言うと、納得していた。
言葉はあまり必要ないのかも??? と思わせるコミュニケーション
だった。

ハンブルク中央駅まで車で送ってもらい、鉄道でフランクフルトへ。
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       (アレクサンダーとアネッテ、列車の窓から)

娘は列車の中の食堂車で食事をしたがったので、食堂車へ。
娘は「おいしい」と最後のドイツの食事を楽しんだ。

フランクフルトの空港でお土産など買って、またまたなが〜い
空の旅へ。

娘は2度目の食事をとばすほど、しっかり寝た。
私達両親が眠れなかったのは、行きと一緒。(涙)

8月13日(日)

午後3時半、ようやく成田に着く。
荷物を受け取り、国内線に乗り継ぎの手続きをするが、かなりの
時間がある。

6時頃うどんやそばを食べ、その後、主人と別れる。

福岡行きの飛行機では、私は眠気に勝てず寝ようとするが、
そのたびに娘から起こされる。

福岡空港で祖父母の出迎え。
タクシーで帰宅したのは夜10:30頃。

夕食、荷物の整理やお風呂で、「無事に帰宅した」とドイツへ
メールを送った時は午前1:30をまわっていた。
翌朝から仕事の私は、そこでもうダウンしてしまった。

だが、しっかり飛行機で寝た娘は、3:30頃まで寝なかったらしい。

翌朝、ブレーメン以来少し風邪気味だった娘は、牛乳を飲んで
すぐ吐いてしまったらしいが、その日の午後くらいからふたたび
元気になったそうだ。

  
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  ■ 反省点と今後
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いつもの旅行では、同じ都市に3日間は泊まって、そこから動ける
範囲で動くのだが、今回は
  ・娘にスイスの山、寝台車を体験させること
  ・ドイツの友人達に娘を会わせること
を主目的にしたため、かなりきつい日程になってしまった。

また、子どもには景色よりも動物・遊び・食べ物だ というのを
軽んじていた気がする。

娘の旅行費用に関しては
  ・航空運賃 約 18万 (大人は1人約 24万)
  ・鉄道パス(ドイツのみ、スイスは6才以下無料)と夜行料金 
    約 3万
  ・スイスのホテル 大人も含めて3泊で全額約 7万
   +食事、お土産代
いつもながら航空運賃がかなりを占めるので、やはり次回は無料
航空券で行こうと思う。


娘にまた行きたいかどうか尋ねると「また行きたい」との答が
返ってくる。

それが、涼しくて快適だったからなのか、たくさん遊んでもらった
からなのか、食べ物がおいしかったからなのか、異文化が刺激的
だったからなのか・・・
   
よくわからないが、「気に入った」ことは確か。

娘には今まで「英検2級を取ったら一人で外国に行ってもいいよ」
と言ってきたが、今回実際に外国に行って「外国」を実感した
ものの、「一人で」という言葉にはまだ小さいので、かなり
抵抗がある というのが解った。
「あなたが英検2級くらい取ったら、おじいちゃまとおばあちゃま
 を連れて、一緒に外国に行けるでしょ。
 お父さんやお母さんがお仕事で休めなくても3人で行けるよ」
と言うと、
「そうだね!」と顔を輝かせていた。

英検2級はまだまだ先だろうが、帰国後に本人の口から
「今年は4級取るからね!」
と言う言葉が聞かれたことを考えると、英語はほとんど
使わなかったものの、モチベーションにはなったような
気がする。


ドイツ語に関しては英語とごっちゃになるといけないので、
英検3級レベルをクリアし、ひととおりの英文法や基礎単語を
マスターしたら、始めてみようか と考えている。

娘の場合、生まれてすぐから英語に親しんできたので、日本語
が確立した後から英語を始める子の気持ちや問題点が、イマイチ
よくわからない。
6才頃からドイツ語を始めるとその年齢から初めて英語をする
子の気持ちや問題点もわかるのではないか。 
今、そんなふうに考えている。

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