「娘の11回目の海外体験」(2012.1.5号)

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  ■ 日程表
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12月23日(金) 7:20 福岡発  9:00 成田空港着
        12:25 成田発 16:20 フランクフルト着 
        18:17 フランクフルト空港発 (ICで移動) 
           20:39 ニュルンベルク着
        (ニュルンベルク泊) 
   
12月24日(土) 移動なし  
        (ニュルンベルク泊)

12月25日(日) 9:06 ニュルンベルク発 (ICで移動) 
            12:42 ライプツィッヒ着
        (ライプツィッヒ泊)

12月26日(月) 9:42 ライプツィッヒ発 (ICで移動) 
            10:58 ワイマール着
        18:48 ワイマール発 (ICで移動) 
            19:44 ライプツィッヒ着
        (ライプツィッヒ泊)

12月27日(火) 12:51 ライプツィッヒ発 (ICEで移動) 
            14:04 ドレスデン着
        (ドレスデン泊)

12月28日(水) 9:58 ドレスデン発 (S-Bahnで移動) 
            10:33 マイセン着
        15:47 マイセン発 (S-Bahnで移動) 
            16:12 ドレスデン着 
        (ドレスデン泊)

12月29日(木) 9:53 ドレスデン発 (ICEで移動) 
            12:51 アイゼナッハ着
        (アイゼナッハ泊)

12月30日(金) 9:55 アイゼナッハ発 (ICで移動) 
            10:47 フルダ着
          11:04 フルダ発 (ICEで移動) 
            13:59 ハンブルク‐ダムトア着
        (ハンブルク泊)

12月31日(土) 移動なし
        (ハンブルク泊)

1月1日(日) 11:17 ハンブルク‐ダムトア発 (ICEで移動) 
           15:16 フランクフルト空港着   
        20:25 フランクフルト発  (機中泊)

1月2日(火) 15:25 成田着
       19:45 成田発    21:55 福岡着
     

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  ■ 娘の様子
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12月23日(金) 
    
 5時起床。
 比較的すんなり起きて来るが、睡眠が足りず、少し眠たそう。
 年賀状を間に合わせようと徹夜した私を、「お母さんは眠れた?」
 と気遣う。

 地下鉄で空港に向かう予定だったが、私の父がタクシーで空港
 まで送ってくれる。
 起床も早く、道も混んでいなかったので、かなり余裕で福岡空港
 に着く。
 成田への飛行機に乗り込むと、二人とも爆睡。

 成田空港に着き、直接乗継カウンターへは行かずに国際線
 ターミナルへ。
 娘の希望で朝マック。その他、お店を見たり、展望デッキに
 行ったりして時間をつぶす。
   
 今回は2回目の娘と2人での旅行なので、プレミアムエコノミー
 の席はとらずに、普通のエコノミー。「座席が狭いね」と
 偉そうに言う。

 私はここでもすぐに爆睡するが、娘はひとりで、座席の
 パーソナルテレビで映画をみたり、ゲームをしたりして
 いたようだ。
 途中は横になって膝を立てて寝ていたが、いつも眠っていて
 食べられない着陸前の食事の時には、初めて起きており、
 他の乗客と同様に食べた。

 フランクフルト到着後の入国審査では、まだ背が低く、係員の
 カウンターの下に顔が隠れるが、頭は見えているようで、
 ジャンプして周りの笑いを誘うこともなくなった。

 荷物をカウンターで受け取り、税関を通った後、電車に乗ろう
 と探したが駅までの行き方がわからず、娘をインフォメーション
 に走らせる。
 行き方を聞いてきた娘に従い、シャトルバスで別のターミナルに
 移動し、駅に着くことができた。
 着陸の頃から右の耳が痛いといっていた娘だが、飛行機を
 降りてもまだ痛がり、少し心配。
   
 ここからドイツ国鉄のICに乗って、ニュルンベルクへ移動する。
 乗る電車が15分ほど遅れ、十分時間があったので、その間に
 パンを食べようと、娘に買いに走らせる。
 シャトルバスでは疲れた様子だった娘は、パンを食べて
 復活した。
 が、電車に乗るとすぐに眠ってしまう。
 日本では夜中の2時過ぎなので、無理もない。

 ニュルンベルクに着く直前に起こし、荷物を持ってタクシー
 でホテルへ。
 街はクリスマスのイルミネーションで飾られてとてもきれい。
 9時頃ホテルに着いて、荷物を置き、夜の街に出る。
 夜10時までのクリスマスマーケットを見に行くが、娘は再び
 耳が痛いと言い、楽しめない様子。
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        (到着日夜のクリスマス・マーケット)

 どんな出店があるか見た程度でホテルに戻り、急いでお風呂に
 入れ、寝かせる。   

12月24日(土) 

 朝、娘は5時過ぎに起き、6時くらいからガサガサし始める。
 耳が痛いのは少し良くなったといい、ホテルの豪華な朝食を
 驚くほどたくさん食べる。
 9時半から始まるクリスマスマーケットを待ちきれず、9時頃
 ホテルを出る。
 ホテルはニュルンベルクのお城の近く、画家のデューラーの
 家の裏にある。
 それらは後で見ることとして、クリスマスマーケットに向かう。

 クリスマスマーケットには、クリスマスの飾りや、ローソク、
 お菓子、ニュルンベルガーというこの地方のソーセージを
 焼いたものや、冬のドイツに欠かせない、グリューワインと
 いう香辛料を入れ温めた赤ワインの飲み物などが売られていて、
 見るだけでも楽しい。

 娘は最初はここ、次はあそこと、昨夜目をつけていたお店を
 次々に回って買い物をしていく。
 広場の角にあるお店では念願のくるみ割り人形も手に入れ、
 ご満悦の様子。
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        (最終日のクリスマス・マーケット)

 さあそろそろ別のところをまわろうかという頃、娘は
 またまた耳が痛いと言いだす。
 いつもは何もなくても小児科を受診し、抗生剤等をもらって
 持ってくるのに、今回に限って何もしてこなかった。
 薬局に行き、娘が耳を痛がるのだが風邪薬が欲しいというと、
 急患センターに行って診てもらって、処方箋をもらわないと
 抗生剤は出せないし、そうした方がいいよ と言われた。
 駅近くにある急患センターを教えてもらい、受診する。

 あまり待たされることもなく、小児科の女性の先生が診て
 くれた。
 心配していた中耳炎ではなく、風邪による鼻からの症状が
 耳痛となって出ているのだと言われ、ほっとする。

 処方された薬を駅の薬局で買う頃には、娘もほっとしたのか、
 耳をあまり痛がらないようになっていた。
 駅でこれからの旅程で必要な列車の座席指定をする。

 旧市街に戻り、クリスマスマーケットに戻る頃には、もう
 最終日の終わりの2時が近くなっている。
 そろそろお腹がすいてきたので、ニュルンベルガー
 (ソーセージ)が食べられるレストランを探すが、全部
 クリスマス休暇でお休みか、もう閉めるところ。
 急いでクリスマスマーケットで、ニュルンベルガーを挟んだ
 パンを買い、その場で食べる。
 そうとうおいしかったようで、娘はもう一つほしがる。
 あと2個買って、それにグリューワインも買って、ホテルに
 持ち帰る。
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        (街中のクリスマス・ツリー)

 たくさんのお土産を整理したり、宿題をしたり、メールの
 チェックをしたりした後、4時半頃、再び外に出る。
 もう日も暮れ始め、お城からはみんな帰り始めているし、
 デューラーの家ももう閉まっている。
 夕食にするサラダ等を買おうか と午前中に行ったスーパーを
 探したが、あらゆるお店が閉まっている。
 駅に行けば何かあると思ったが、それほどお腹もすいて
 いないし、ホテルに戻ることにした。
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        (ホテルの近くのお城の城壁をバックに)

 早目にお風呂に入り、食べ物の残りを食べ、薬を飲んで、
 8時くらいに寝る。

12月25日(日)

 朝は6時に起床。
 荷造りをして、朝食を取る。クリスマスということで
 シャンパン付き。
 娘はまだ調子が今一歩のようで、あまりたくさんは食べない。

 8時半頃チェックアウトし、タクシーで駅へ。
 駅で飲み物を買い、電車に乗り込む。
 電車の中では娘はお勉強! 私はこの原稿を書く。
 といっても、すぐ休憩し、日本から持ってきたDSで
 遊んでいる。
 耳の痛みは大分和らいだが、喉が痛いと言い始める。

 結局あまりはかどらないまま、ライプツィッヒに到着。
 ホームでYさんを探す。
 YさんはJICAの通訳をなさっている方で、16日からドイツの
 休暇を楽しみ、この日の13時過ぎのフランクフルト行きで
 帰られる予定だったので、駅で少しだけお会いできるかも? 
 と打ち合わせていたのだった。
 ホームの端にいるYさんを発見。
 ライプツィッヒを拠点に、旧東ドイツの美しい街めぐりと
 コンサートを堪能されたとのこと。
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        (ライプツィッヒ駅にて)

 Yさんと別れ、駅前のホテルにチェックイン。
 15時からチェックインになっていたが、13時少しにも関わらず、
 チェックインしてもらえた。
 荷物を置いて、街に出る。
 クリスマス休暇で閉まっているところが多いが、由緒ある
 カフェ・バウムに入り、この地方の郷土料理オニオンスープ
 などをいただく。

 食事後にバッハゆかりの聖トーマス教会に行き、お参り。
 横のバッハ博物館は今日は閉まっている。
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        (聖トーマス教会のバッハの像)

 夜にコンサートに行くゲバントハウスの場所を確認しようと、
 聖トーマス教会から旧市街を横断すると、途中のアーケード
 内に有名なアウエルバッハのケラーを見つける。
 店の入り口にある、ファウストとメフィストフェレスの
 像の写真を取ると、娘からファウストの話のあらすじを
 聞かれる。
 大まかに説明し、帰国したら家にある本を読むように
 勧める。(手塚治虫のマンガで、硬い本ではない)
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        (アーケードのクリスマス・ツリー)

 ゲバントハウスの場所を確認し、ホテルに戻り、荷物の整理
 などで過ごし、7時半前にホテルを出る。
 この日の8時からのコンサートは、残念ながらお目当ての
 ゲバントハウス交響楽団ではなく、ホールも小さい方の
 メンデルスゾーンホール。
 クリスマスのモーツアルト・シュトラウスガラということで、
 ピアノ協奏曲もあるし、本格的なコンサートが初めての
 娘にもきっと大丈夫だろうと期待。インターネットで予約し、
 チケットを郵送してもらったが、詳細な曲目は不明で、
 予習できなかった。
   
 席は1番前の列で、舞台との距離が1メートル程度。
 舞台の高さも50センチ程度で、とても身近な感じがした。
 演奏が始まると、まずはよく聞くモーツアルトの交響曲。
 次に、ロシア人だが顔は東洋系のピアニストがモーツアルト
 のピアノ協奏曲を、ほぼ完ぺきに弾く。
 私は楽しめたが、この曲はあまりポピュラーとは言えず、
 娘は風邪薬の影響もあり、途中から眠くなっている。

 休憩に入ると、娘から「死ぬほど眠いよ~」との訴えがある
 が、1番前の真ん中の席で2人もいなくなるのは失礼だと
 言うと、後半も頑張るとのことだった。

 後半の曲目は、シュトラウスのワルツなどを期待していたら、
 私も聞いたことがない、マニアックな室内楽曲だった。
 娘はときどき船を漕ぎだしたが、頑張っている様子で、少し
 可哀想。
 やっと終わった時はドイツ人の聴衆も楽章の終わりなのか、
 曲全体の終わりなのかわからなかったようで、拍手の
 タイミングが遅かった。
   
 指揮者が「今日はクリスマスなのでサプライズがあります」
 と言い、別の曲が始まった。
 舞台ではないところからソロのバイオリンの音が響いてくる。
 その演奏者は帽子をかぶっており、聴衆の列の間を通って
 舞台上に上ってきた。
 曲名はわからなかったが、郷愁を帯びたジプシー風の曲。
 素晴らしい演奏で、サプライズの客演なのに拍手が鳴りやまず、
 本家の演奏家たちがかすんでしまった。

 よく我慢した娘だが、喉が痛いと言い、風邪の具合も少し
 悪くなってしまった。
 ホテルに戻り、すぐに熱目のお湯に入れ、寝かせる。

12月26日(月)    

 朝、ゆっくり目に起き、たっぷりの朝食を取るが、娘は
 まだ喉が痛いと言い、あまり食欲もない。
   
 今日は電車で約1時間のワイマールに行く。
 ワイマールはワイマール共和国やゲーテやシラーの街として
 有名。
 バウハウスという、建築の学校でも有名だ。
 ゲーテやシラーをほとんど知らない娘には退屈だとも
 思ったが、私のハンブルク留学時代にお世話になった
 シプケさんが2000年の12月の退職後、故郷のこの
 ワイマールに移り住んでいる。
   
 シプケさんご夫妻とは2年前の夏のドイツ・ベルギー旅行中
 にケルンでお会いした。
 今回はワイマールの駅のホームで出迎えてもらった。
 奥さんが娘を見つけて、「大きくなったね」と言われる。
 シプケさんも「ようこそワイマールへ」と迎えてくれる。
 お二人ともお元気そうで何より。

 クリスマスでレストランがいっぱいで、1時過ぎにしか予約が
 取れなかったので、それまで街を歩きながら案内するとのこと。
 国民劇場の前にある有名なゲーテとシラーの像の前で写真を
 撮ったり、ナチスドイツ時代の建築物を眺めたり、バウハウス
 博物館の前を通り、ゲーテの家やお城の近くの図書館、公園
 などを案内してもらう。
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        (シプケさん御夫妻と、像の前で)

 街のいろいろなところに、ここにはバッハが住んだとか、
 シラーが引っ越し前に住んでいたなどが、建物の外に
 書かれている。
 残念ながらほとんどクリスマスで閉館だったが、開いて
 いても娘が興味を示すところは少ないと思われた。

 1時過ぎに目的のレストランに入る。
 クリスマスの定番料理であるガチョウの焼いたものに
 ジャガイモ団子を添えたお料理をいただく。
 娘は大好きなジャガイモ団子を喜んでいただく。
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        (レストランの前にあったお人形と)

 食事の後はクラナーハという画家の祭壇画がある教会に入る。 
 以前は教会を怖がった娘だが、最近は教会の中でキャンドル
 をともすのを楽しみにしている。

 教会を出て、タクシーでシプケさんのお宅へ。
 中にはクリスマスツリーの他に、たくさんの小さな木彫りの
 お人形が飾られていて、見ているだけでも楽しい。
 お茶を飲みながら、留学時代の話、同僚のその後の話題など、
 いろいろと話がはずむが、ドイツ語がわからない娘には退屈
 のようで、眠そうな様子。
 眠かったら寝ていいと言われた娘は、ソファーで休ませて
 いただく。
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        (休ませていただいている娘)

 起きてからケーキをいただき、駅まで車で送っていただき、
 ホームで見送ってくださる。
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    (木彫りのお人形がたくさんのお部屋でお茶をいただく)

 約1時間でライプツィッヒに戻り、駅でバゲットとジュース類
 を買ってホテルへ。
 娘はホテルの入り口にあるゲーム機でしばらく遊んでから
 部屋に戻る。
 早目にお風呂に入って、軽く食べて寝る。   
   
12月27日(火) 

 朝食後、チェックアウトし、荷物をホテルのフロントに
 預かってもらってライプツィッヒの街へ。
 9時過ぎに聖トーマス教会に入ると、オルガニストが
 パイプオルガンの練習をしているのを聞くことができた。
 もう一度バッハのお墓にお参りして、教会横にあるバッハ
 博物館へ。
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            (聖トーマス教会内部)

 私が留学中にここを訪れた時は、単なる資料の展示という
 感じだったが、改装されて、展示も見やすく、また、バッハの
 音楽をいろいろな角度から体験できるように工夫されていた。
 例えば曲に使われている楽器が展示されている部屋では、
 ボタンを押すと流れている曲のその楽器の音量が強くなり、
 今、自分が演奏に参加しているような感じが出せる。
 娘は喜んでいろいろな楽器のボタンを押していた。
 大好きなブランデンブルク協奏曲もあり、大いに楽しんだ。
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            (バッハ博物館内にて)

 いろいろ楽しんだ後、売店でバッハの石膏像を買うという娘。
 ここでしか買えないが... 重いし、割れ物。注意する手荷物が
 またひとつ。

 途中の教会も見て、ホテルで荷物を取り、駅へ。
 今日はライプツィッヒからドレスデンに移動する。
 何を勘違いしたのか、持っている鉄道パスを使えばよかった
 のに、ホームの自販機で乗車券を買う。
 約1時間でドレスデンに着く。

 宿泊するホテルはドイツ国鉄のホテル。 
 ケルンなどと同様に駅の中にあると思い込んでいたが、
 駅にはない。
 娘に駅の中の観光案内所に聞きに行かせると、なぜか、
 全く間違った場所を教えられ、二人でたくさんの荷物を
 持って駅の南側をうろうろ。
 もらった地図とホテルの住所をもう一度確認し、駅の
 北側に出てすぐの所にホテルを見つける。
 娘は、二度と観光案内所に聞きに行かない! と怒る。

 ホテルの部屋にはシャワーしかなく、バスタブ付きの
 部屋と希望しなかったことを後悔する。
 気を取り直し、着替えて、街に繰り出す。

 5時45分からのゼンパー・オーパーという劇場の案内に
 申し込んでいたので、それに間に合うように食事をする。
 ゼンパー・オーパーの近くにあるお城の脇のレストランで
 食事をする。

 私は以前にバイロイトでワーグナー祝祭劇場の案内に行った
 ことがある。
 舞台裏や楽屋など、普段入れない所に入ることができ、また
 舞台の奥行きの深さなども体験でき、非常に興味深かった。
 今回は娘にもそんな体験をさせてあげようと申し込んだ。

 案内は早口のドイツ語だけで、ところどころ私にもわからない。
 ときどき少し娘に通訳するが、自分も聞いているので、なかなか
 うまくいかない。
 娘は退屈し始め、私も娘も早く舞台裏に移動しないかと待つ。
 ところが、結局最後まで、劇場の歴史に終始した。
 こんな案内だと知っていたら、申し込まずにゆっくり食事が
 できたのに。

 案内が終わってから、劇場の席に着く。
 劇場内はとても素晴らしい。 先ほどの案内で、大理石の柱に
 偽物があることを聞いていても、なおかつ素晴らしい。
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            (ゼンパー・オーパー内で)

 7時からバレエ『くるみ割り人形』が始まる。
 クララも、お菓子の国のドラジェの精も日本人のようだった。
 音楽もバレエも素晴らしく、娘も私も十分堪能した。

 バレエが終わると娘はまた調子が悪いと言いだし、タクシー
 でホテルに戻る。
 寒気がするのにシャワーはよくないだろうと、洗髪だけして、
 着替えさせ寝かせる。

12月28日(水) 
   
 娘の調子は今一つ。 昼間は比較的元気なのだが、朝・夜が
 悪い。
 この日はドイツに来て初めて、真っ青な空。 
 ご希望のマイセンへ遠足。
 ドレスデンからS-Bahnという近距離電車で約40分で、
 磁器の街に着く。
  
 この日は近距離ということで、切符を買うことにしていた。
 駅の自販機で誰かが発駅にドレスデンでなくライプツィッヒ
 と入れていたのを知らずに買い、えらく高いと思ったが、
 それで乗車。
 検札の前に、切符が違っていることに気づく。
 検札の方に間違った切符を買ったと言うと、刻印を押さずに、
 マイセンの駅でいくらか払い戻ししてもらいなさいと言われる。

 マイセンに着き、駅で払い戻しの手続きをする。
 少しの額しか戻って来なかったが、行きの料金を検札の方が
 タダにしてくれていたので、それほど損はしなかった。
 また、駅の払い戻しをしてくれた係員も、帰りの切符代が
 カバーできなくて気の毒だと言ってくれた。

 気を取り直してマイセンの街へ。
 橋から見るお城の風景がなかなかいい。
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                (マイセンにて)

 でも、娘が目指すのはお城ではなく、磁器工場。
 私の趣味だったコーヒーカップ収集を見て育った娘も、やはり
 食器が好きらしく、「絶対マイセンでアウトレットを買う!」 
 というのが、この旅行の目的の一つらしい。
   
 工場に着き、製作過程を見学する。
 どの作業も細かい手作業で、マイセンがどうしてあんなに
 高価なのか、二人とも納得した。
 中のカフェで軽い食事をした後、アウトレットのコーナーと
 正規品のコーナーを見てまわり、娘はアウトレットの中から
 お気に入りのカップを購入。ご満悦。 
 でも、またひとつ、割れ物が...。
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            (マイセンの磁器工場内で)

 駅までの道の途中の木工細工のお店では、シプケさんのお宅に
 飾られていたような可愛いお人形がたくさんあり、ここでも
 親戚や自分にと、いくつかお土産を買う。 
 十分満足し、電車でドレスデンに戻る。

 ホテルに荷物を置き、路面電車で街中へ。
 ドレスデン自体はあまり見ていないので、食事がてら夜の街
 の散策を目的に出かける。
 ゼンパー・オーパーの横にある有名なカフェの、アイヤー
 シェッケというケーキは絶対食べて帰ろうと言っていたので、
 まずそこを見てみようと行くと、食事もできることを知り、
 迷わずそこに入る。
 娘は好物のジャガイモ団子がついた料理を注文。
 私もそれなりに食べ、食後に目的のケーキを注文。
 このケーキ、一切れの長さが20cmを越えているため、二人で
 一つ頼むことにする。
 (ドイツのケーキはどこでもそんなもの。ドイツ人が日本の
  小さくて高価なケーキを見たら、きっと詐欺だと言うだろう)
 噂に違わぬ美味で、二人とも満足する。

 食後は街の見どころを腹ごなしを兼ね、歩いて見て回る。
 ドレスデンのクリスマスマーケットは終了していたが、
 ライトアップや、ろうそくで回るクリスマスピラミッドはまだ
 置いてあり、しかも興味深い中世風クリスマスマーケットは
 まだ開催されていて、見ることができた。
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            (ドレスデンの名所の夜景)

 少し寒かったが、景色のいい川沿いの「ブリュールのテラス」
 と呼ばれるところを歩いたり、タイル絵の「君主の行列」など
 を見て、路面電車でホテルに戻った。

 部屋を暖め、私が先にシャワーを使って、シャワー室も十分
 暖めてから娘を入れる。
   
12月29日(木) 

 ドレスデンに別れを告げ、電車で3時間のバッハの生まれた街
 アイゼナッハに向かう。
 電車の中では、娘は塾の宿題、私は仕事。

 駅から500mほど荷物を引きずって、ホテルにチェックイン
 する。
 これまで宿泊したホテルの中では一番高級なホテル。
 少しクラッシックな感じの部屋だったが、私達は一番に
 バスタブを探した。
 バスタブを見つけて、ホッとする。

 この街での目的は、山の上にあるヴァルトブルク城と、
 バッハハウス。
 1時半を過ぎ、お昼ご飯がまだだが、食べているとお城に
 行く時間はない。
 きっと娘は食事を優先するので、お城は諦めようかと
 思っていた時、「食事は後でいいから、お城に行こうよ」
 と、娘から信じられない言葉。
 「お姉さんになったね~」といたく感動する。

 時間がないので、タクシーを呼んでもらって、お城へ。
 2時10分からの約1時間のお城の案内に参加する。
 日本語のパンフレットはあったが、案内は残念ながら超早口
 のドイツ語。
 ここでも娘は私からの、ほんの少しの通訳で、お城をめぐる
 ことになる。
 再建された部分が多かったが、「タンホイザ―」の歌合戦を
 描いた壁絵や、素晴らしい大広間など、見応えのある所が
 多かった。
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            (ヴァルトブルク城の内部)

 この街の学校では、このお城の大広間で卒業式をすると聞き、
 娘は羨ましがる。
 
 ガイドツアーの後は、博物館を自由に見て、最後にマルティン・
 ルターが聖書をドイツ語に翻訳した部屋を見ることができた。

 そこを出ると、さすがに何か食べないと山を下りられない。
 隣接するホテルのレストランで食事をすると、結構時間が
 かかり、4時を過ぎて日が暮れ始めた。
 暗くなる前に下山しないと と、急いで山を下りる。
 行きは歩いて40分とガイドブックに書いてあるので、下りは
 30分と計算。
 4時40分にレストランを出て、下山し始めると、すぐに
 暗くなる。
 遊歩道のはずなのに、途中の灯りは全くなく、怖がりの
 娘は顔が硬直。速足の私と同じくらいの速さで歩く。
 私も早く娘を安心させようと、一層速足で歩き、15分ほど
 歩いたところで、ようやく街の灯りが見えてくる。

 計算通り30分でバッハハウスに着き、5時10分に入る。
 ここでは古楽器の演奏実演を聞くことができた。
 また展示もライプツィッヒのバッハ博物館のようにいろいろな
 工夫がされていて、もっとゆっくり来たかったと感じた。
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            (バッハハウスの前のバッハの像)   

 この後はホテルに戻り、一息つく。
 お昼が遅かったので、あまりおなかはすいていないが、何も
 食べないと夜寝る前におなかがすくだろうと、ホテルの中の
 レストランで軽く食べる。
 結局食べきれず、薄いピザのようなお料理を、お持ち帰り用に
 包んでもらって部屋に帰る。

 「今日はお昼も食べずにお城に行って、見直したよ。」
 「でも帰りは怖かったね。疲れたよ。」
 と言いながら、ゆっくりお風呂に入り、疲れを取る。
   
12月30日(金)

 せっかくの朝食だが、娘はまたあまり食べない。
 私も昨夜のレストランでの食事のせいで、あまり食欲がない。
 あまり勧められないが、朝食の時に、お昼のサンドイッチを
 作り、2個紙ナフキンに包んで部屋に持ち帰る。

 急いでチェックアウトをする。 チェックアウト時にみぞれが
 降っていたので、タクシーを呼んでもらい駅へ。
 思いのほか早く着き、駅でしばらく待つことになるが、電車は
 みぞれで5分ほど遅れて来る。
 たくさんの荷物を抱えて電車に乗る。
 隣の席には2人の子ども達を連れたお母さんが子ども達と
 ゲームをしている。
 娘を「一緒にやる?」と誘ってくれるが、「ドイツ語は
 わからないので」と残念ながら断らざるを得なかった。

 1時間ほどのフルダという街でハンブルク行きに乗り換える。
 ここは3時間乗るので、仕事をしようとパソコンを出す。
 電車に間に合おうと慌てて出てきて、パソコンのコンセントの
 アダプターをホテルに忘れて来たことに気付くが、もう遅い。
 パソコンは使わずに仕事をする。 娘はモチロン宿題。
 昨夜のピザ風の食事と、朝食の時に作ったサンドで食事もする。

 午後2時頃、ハンブルク中央駅の次の駅、ダムトアに着く。
 ここは私がハンブルクに住んでいた時、旅行会社に勤める
 高校の同級生からユーレイルパスを送ってもらい、週末に
 一人でデンマークやら、オランダやら、あちこち回っていた
 頃に拠点にしていた駅だ。
 あれから17-8年経っても風景はあまり変わっていない。
 荷物を持ってホテルの方へ歩き始めると、だんだん当時
 歩いた道などを思い出してくる。

 思い荷物を引きずっていると、自転車に乗っていた人が
 手伝ってくれたり、ホテルの前では別の人が荷物を階段の
 上まで持ってくれたり。
 住んでいた頃を思い出し、相変わらず人々が優しいことに
 感謝。

 ホテルは一つの建物の中にたくさんのホテルが同居する
 タイプのもので、建物は古かったが、部屋は清潔、熱いお湯
 がたっぷりで快適。
 レトロなホテルではパネルヒーターがむき出しになっている
 ので、洗濯物が一晩で完全に乾き重宝する。
 フロントのおじさんもとても親切だった。

 荷物を置き、洗濯し、着替えてから、ハンブルクの中心街へ。
 今日は7時からオペラ「魔笛」を観るのだが、その前に、
 ちょうど3年前の冬にローマで再会した、留学時代の検査
 技師のシュビヒテンベルクさんとまた会うことになっている。
 彼女は現役の時も、退職後も、冬はイタリアで過ごすのが
 決まりなので、今年もイタリアだとばかり思っていたら、
 家の改装でお金がかかったので、今年はハンブルクに
 留まっているとのことをシプケさんから聞き、電話した。
 留学中は大学病院の中の職員食堂で、このシュビヒテンベルク
 さんと、シプケさんと3人で毎日昼食を取っていた。
 このお二人のおかげで、ずいぶんとドイツ語が上達した。

 ハンブルクの中心街にあるデパートの最上階、バイキング式
 のレストランの前で待ち合わせ。
 エスカレーターで上がって行くと、先に来ていたシュビヒテン
 ベルクさんが満面の笑みで迎えてくれた。
 娘とも初対面でないので、少し英語でお話ししたりして、
 食事を楽しんだ。
 帰りの電車で食べる分、私の両親に渡す分、と切り分けた
 クリスマスのシュトレンというケーキを、別れ際にくださった。
 「今度会うのはローマかしら?」と言いながら、再会を約束
 して別れた。

 娘と私はすぐ近くのハンブルク国立歌劇場に歩いて向かう。
 ここには留学時代、日本に帰るとオペラなんて見られないから 
 と、それほどオペラファンでもないのに、足繁く通った。
 劇場はモダンで、特に見るべきところはなかったが、改装され、
 ずいぶん快適になっていた。
   
 シュビヒテンベルクさんから「今回の『魔笛』は演出が
 モダンよ」と聞いて、少しがっかりした私達だったが、
 始まってみると、そのモダンな演出が娘を含め、子ども達に
 ウケていた。
 (後ろに座っていたおじさんは「ひどすぎる!」などと言って
 いたが)
 娘は予習していたので、自分が見たDVDと、今日の公演の
 出来を比べたりしていた。
 自分と同じくらいの男の子たちが出演していたのもよかった
 ようで、「おもしろかった」そうだ。

 途中のダムトア駅で飲み物を買ってホテルに戻り、また喉が
 痛いと言う娘を熱目の風呂に入れて寝かせる。

12月31日(土)

 8時くらいまでゆっくり寝て、朝食を取るが、二人とも
 あまり食べず。
 今日は10時にホテルにギゼラ達がやってきて、どこかに
 連れて行ってくれるらしい。
 昨年の冬はお宅にお邪魔したが、毎年はさすがに気が引ける
 ので、今年は近くまで行くけど、ハンブルクの街中のホテルに
 泊まるとメールしていたら、二人の方からハンブルクに出て
 きてくれるそうだ。

 10時少し前にギゼラから電話があり、今フロントにいる
 とのこと。
 フロントに行くと、ギゼラが待ってくれている。
 娘を見て、「また大きくなったわね」と言う。
 ユルゲンは熱を出して来られないとのこと。 
 いつも元気なユルゲンが熱で来られないなど想像できないが、
 会えなくて残念に思う。

 ギゼラは袋一杯のお土産を持ってきてくれた。
 私や娘はもちろん、私の主人、両親にも、チョコレートや
 飾り物など。
 特に今日が誕生日の娘は特別なプレゼントもいただいた。
 私達からのプレゼントは荷物になるので、帰りに渡すことに
 して、目的地に出発する。

 それはミニチュア・ワンダーランドという模型博物館。
 電車の模型が主ということだったが、街や風景まで精巧に
 作られ、一見の価値がある。
 ギゼラ達のお勧めの火事の現場に消防車が出動し、火を
 消したり人を救助したり という場面は、少し変わっていた
 ようだったが、新しくできたという飛行場には脱帽。
 本物さながらのフライトスケジュールが掲示板に出て、
 しかもその通りに次々と飛行機が離着陸する。
 着陸した飛行機はゲートに入り、ボーディング・ブリッジまで
 付く。
 さすがドイツ人ならではのこだわりよう。
 また、全体が昼になったり、夜になったりし、それに合わせて
 街や物にライトがついたり、消えたりもする。
   
 大きなところは中央のコントロールセンターで管理されて
 いるが、見学者が押せるボタンもたくさん用意されていて、
 自分がボタンを押すと、どこかで何かが起こるようになって
 いて面白い。
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        (ミニチュア・ワンダーランド内で:ギゼラと)

 お昼もその中で軽く取り、5時間ほど遊んで、ホテルに戻る。
 ギゼラに日本からもってきたホッカイロなどのお土産を渡し、
 お礼を言って別れる。

 少しホテルで荷造りなどをし、6時くらいに留学時代の友人、
 アレクサンダーに電話する。
 今日の夜は彼の家で新年を迎える花火をすることになっている。
 迎えに来てくれるとのことだったが、車が使えなくなったと
 いうことでタクシーで向かう。

 娘が初めてドイツに来た4才の時、アレクサンダーとアネッテの
 カップルにもうすぐ赤ちゃんが生まれるところだった。
 そして、その次の年にはもうすぐ1才になる男の子ブルーノと
 会った。

 家に着くと、そのブルーノがもう5才の、とっても可愛い
 男の子に成長している。
 アレクサンダーとアネッテからは、娘も大きくなったと
 驚かれる。
 ブルーノと同じ年の男の子とその両親も来ていて、賑やか。
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        (アレクサンダー宅:ブルーノ、そのお友達と)

 外は霧雨が降り始め、かなり寒い。 と言っても、例年の
 ドイツの冬に比べると、驚くほど暖かい。 なんせ、雪で
 ないのだから。

 アレクサンダーとアネッテは娘の誕生日を覚えてくれていて、
 娘にモノポリーのハンブルク版をプレゼントしてくれる。

 男の子2人はかなり興奮して遊びまわっている。
 それを見てアレクサンダーが、「ブルーノを日本にやって、
 ノゾミをハンブルクに置いて、交換しよう!」 と冗談ぽく
 言う。
 ブルーノは私達が持って行った La-Q というブロックが気に
 入ったようで、一生懸命遊んでいる。

 庭に起こした火の周りで花火をして少し遊んだ後、みんなで
 食事。
 近所のあちこちで花火が上がっている。
 しばらく遊んで、午後11:45になると、みんなでまた庭に
 出る。
 子ども達も昼寝をしているのか、みんな驚くほど元気。
 アレクサンダーは大きなロケット花火を次々に上げ、
 子ども達はネズミ花火や爆竹で遊ぶ。
 そして新年のカウントダウン、シャンパンでの乾杯!

 12時を過ぎて近所の花火は一層賑やかに。
 1時までは地下鉄も動かないとのことで、それまで置いて
 もらう。
 1時になって、みんなに別れを告げ、アレクサンダーに近くの
 地下鉄の駅まで送ってもらう。
 たまたまそこにタクシーがいたので、遅いし、寒いという娘に
 地下鉄を強いるのも... と、またタクシーで帰ることにする。

 1時半くらいにホテルに着き、お風呂に入れたら2時。
 私はいただいたモノポリーをどうやって荷物に入れるか、
 頭を悩まし、結局荷造りをし直して、3時頃寝る。

1月1日(月)

 朝起きた時は雨が降っている。
 ギゼラやアレクサンダー達にお土産を渡して、減るはず
 だった荷物に、いただいたお土産が置き換わって、荷物は
 減らず。
 加えて、お嬢さんのお買いものの割れ物が多数。
 近くのダムトア駅まで荷物を運ばねばならないのに、雨。

 諦めて朝食に向かうが、二人とも睡眠不足でたべられない。
 また移動の長さを考え、お昼用のサンドイッチを作って
 出て来る。

 両手に山ほどの荷物では傘はさせず、濡れるのを覚悟で、
 本来は防寒用の帽子などを出す。
 チェックアウトの際、チェックインの時とは違う、これまた
 品のいいおじさんがあまりの荷物の多さに、タクシーを
 呼ぼうかと言ってくれるが、空港でなく、すぐそこの
 ダムトア駅に行くので、断らざるを得ない。
   
 チェックアウトし荷物を運び出すと、思いが通じたのか、
 雨は止んでいる。
 ダムトア駅まで行き、電車の1等車を探す。
 今日は何時の電車に乗るか決めていなかったので、座席指定
 をしていない。
 元旦で多くの乗客はいるかもしれないが、1等車まで満席の
 ことはなかろうし、中央駅の一つ手前なので、空いている
 席を探す時間は十分あるだろうとタカをくくっていた。

 ホームにある表示で1等車を探す。
 そこで待っていると、電車が入ってくるが、なぜか2等車。
 1等車は長い車両の反対側に変わっている。
 できるだけ中央まで行くが、時間がないので、とりあえず
 2等車に乗る。
 ここからがパニック。
 2等車に乗ろうとした人達は1等車に、1等車に乗ろうとした
 人達は2等車に乗っており、みんな大きな荷物を抱えている。
 中で移動しようと思っても、簡単には動けない。
 そうこうしているうちに、ハンブルク中央駅に着き、余計
 たくさんの人が乗ってきたのだった。

 私は娘に、先に1等車の空いたところに行くよう指示していた。
 娘は先に行き待っていたが、待っても待っても来ない私を
 心配し、また荷物を持って戻ってこようとしていた。
 乗客は少しずつ移動し、隣の席が空いていた親切なおじさん
 が「しばらくここにいなさい」と私の荷物を全部置いてくれ、
 助かった。
 中央駅の次のハンブルク・ハーブルク駅に着いたか、それを
 出たかくらいの頃、ようやく1等車の空いた席にたどり着けた。
 これから長い移動の1日になるというのに、汗だくになっていた。

 そこからフランクフルト空港駅まで約4時間、娘も私も
 ほとんど寝て過ごした。
 フランクフルト空港駅には定刻に着き、第2ターミナルの
 チェックインカウンターの前に4時頃着く。
 カウンターは4:45からしか開かないとのことで、それまで、
 撮った写真を見たりして過ごす。

 カウンターが開き、まだプレミアム・エコノミーが空いている
 とのこと。
 娘は「変更しよう!」 と即座に言う。
 私は「自分の分は自分で出すなら、考える」 と返事。
 昨年、長い待ち時間をラウンジで快適に過ごせたことを
 思い出し、プレミアム・エコノミーに変更する。
 変更した後で、ラウンジは使えないと言われ、愕然とするが、
 娘はシートがいいので、いいと言う。

 また何もお土産を買っていなかった私は、免税店で慌てて
 買い物をする。 さらに荷物が増えることを覚悟しつつ。   
   
 機内では娘は早速パーソナルテレビを楽しみ、現地時間の
 午前2時くらいまで起きている。
 「もう目が疲れたから寝るね」と言うと、着陸まで起きない。
 やはりいつものパターンだ。
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            (飛行機で熟睡する娘)

1月2日(月)

 定刻より30分早く、午後3時半に成田着。
 国内線乗り継ぎの手続きをして、国際線出発ロビーの
 お寿司屋さんへ。
 外国から成田に帰ってきたときは、なぜかここで食べる
 ようになっている。

 その後、娘は空港内の本屋さんでマンガの本を買い、カード
 会社のラウンジへ行って読む。 私はそこでメールのチェック
 をする。
 今回のドイツ旅行では、ホテルでのインターネットが有料が
 多く、高いところでは1時間約500円というのもあった。
     
 20時近く、福岡に向け出発。
 私はいつもこの便では熟睡するが、今回は娘も熟睡。

 自宅に帰りついたのは23時頃。
 なぜかとても空腹感があり、食べて、そして入浴、片付け、
 年賀状に目を通すなどしていると、夜中の3時半をまわって
 いた。
 幸い明日は急患があって電話があれば出ていくだけなので、
 気楽。

 娘は今回は私と一緒に床に着き、いつもよりは早く眠った。
   

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  ■ 発見と今後
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 今回は娘はあまりしゃべらなかった。
 ドイツ語はあまり進歩していないので、しょうがないが。
 英語もあまり話す機会がなかったのか、風邪で元気が
 イマイチだったのか。

 コンサートははずれだったが、バレエやオペラを楽しめた
 ことは今後のプラスになると思う。

 お昼を我慢してまでも観光したり、移動中に自分から
 宿題をしたことなどは、今までにないことで、成長したな
 と感じる。

 旅行費用に関しては

  ・航空運賃 娘約 16.5万 (私は約19万)
  ・ジャーマンレイルパス7日分 娘約 2万 (私は約4万)
      +座席指定、現地での切符 0.8万
  ・タクシー代 1万

  ・コンサート、バレエ、オペラ 1人1.5万

  ・ホテル(ニュルンベルク) 2泊 約 1.6万
      (ライプツィッヒ) 2泊 約 1.3万
      (ドレスデン) 2泊 約 1.5万
      (アイゼナッハ) 1泊 約 1.5万
      (ハンブルク) 2泊 約 2.2万

  ・病院代 0.7万

      +食事、お土産代
  
 いつものことながら、次の月のカードの支払いが怖ろしい。

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